スンダ海峡の ビッグ・ボス・ブルーズ

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海コラム

コラムニスト: 久保彰良

Vol.06 スンダ海峡の ビッグ・ボス・ブルーズ

ハーミスプロジェクトの頓挫

2006年に沈没位置を突き止めた『HMSハーミスⅠ』の探査プロジェクトはお預けとなる。彼女の位置を確定した直後から日を増すごとにスリランカ内戦が激しくなり、反政府組織の「タミル・イーラム解放の虎」に制圧されたバッティカロアへの渡航がスリランカ政府に厳しく制限されてしまう。このように我々の努力が及ぶことのない問題となり、したがってプロジェクトをいったん諦めざるをえなかった。この探査プロジェクトへの思い入れが強かっただけに、私はもちろん、目標を失ったチーム全員の喪失感は大きかった。突然、真空となった想いを埋め合わせるものはそう簡単にはない。
蛇足だが「ハーミス探査プロジェクト」のメンバーとその周囲の友人知人は、多国籍、多士済々、曲者揃いで、なかでも英国人には「公爵」1※や「王様」2※、「法王」3※までもいる。いや、彼らの地位や職責ではなく、苗字なのだが。しかしじつのところ、彼らの幾代か前の先祖や、あるいは今の家族も、本国に領地や城を実際に所有したり、たどれば法王を生んだ家系を持つのかもしれない。
そんなプロジェクトの先が見えないなかで、「王様」のブライアンから、しばらく『ハーミス』がだめなら、インドネシアのジャワ島で沈んだ、同じ「ABDA」4※の、つまり「東洋艦隊」の『HMASパース』5※が沈んだ確実な位置情報があるので行ってみないかという提案が届く。すぐにデイブが詳細な情報を、母国イギリスとオーストラリアそしてジャカルタの知人から手に入れ、機材とガスの調達、現地でチャーターできる船の手配に動いた。



HMASパースの戦歴

『HMASパース』の建造は、まだ肌寒い英国の初夏、イングランド本島南岸、当時軍港として栄えたハンプシャー州ポーツマスで1933年6月に始まった。当初は英国海軍艦船「HMSアンフィオン」6※と命名されて、1936年に正式就航したD29型軽巡洋艦である。全長169m、総排水量6830t、最大速力32ノット、Mk-XXI型口径15㎝連装速射砲とMk-XVI型口径10㎝連装高角砲をそれぞれ4基、両舷に4連装魚雷発射管を装備して、通常は士官35名と乗員611名を乗せる。そして就航3年後の1939年、イギリス連邦国のオーストラリアに引き渡されて『HMASパース』と改名された。
1942年2月28日から3月1日未明にかけて、当時オランダ領であったインドネシアのジャワ島とスマトラ島を挟んだ海域、「スンダ海峡」で起きた帝国日本海軍と「東洋艦隊」との激烈な闘いは「バタビア沖海戦」7※と呼ばれる。前日のスラバヤ沖の交戦で、オランダ艦船『デ・ロイテル』と『ジャワ』、英海軍戦艦『エクセター』や『エンカウンター』などを失い、ほぼ壊滅的な打撃を受けた「東洋艦隊」は、米海軍重巡洋艦『ヒューストン』とウオーラー艦長を筆頭に682名が乗り組む『HMASパース』に、スンダ海峡を抜けてジャワ島南のチラチャップへの脱出命令を下した。
しかし、28日深夜から翌日未明にかけて、海峡手前のバンテン湾バビ島近くで彼女と僚艦『ヒューストン』は沈む。彼女は、栗田少将が率いる「西方支援隊」の重巡『最上』と『三隈』からの激しい砲撃、「第5および12駆逐隊」の『巌雲』、『白雲』、『春風』、『旗風』から次々と放たれた21本の魚雷攻撃をジグザグに回避し、かつ反撃するために死力を尽くしたが、3月1日午前1時24分にバンテン湾の底、水深40mに姿を消した。生き残った乗員353名が漂流するその日のスンダ海は、月齢13日目の、よく晴れた明るい夜であったという。



美人の帆船でバンテン湾へ出航

暗い闇の底に沈んでいるような、ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港に降り立ったのは、予定の時間より2時間以上遅れた午後7時を過ぎた頃だ。2009年6月の空港建物の空気は、南国特有の、湿気を含んで重く、粘り気がある。先に到着して私を待っていたデイブとサム、ブライアン、ファーグたちと合流し、車でさらに西のアンヤルに向かう。アンヤルは、チャーターした『MBセシリア・アン』8※が拠点とする街だ。
減圧のための酸素と呼吸ガスのトライミックスを作るためのヘリウムは、比較的苦労せずに現地で調達できたが、減圧用シリンダーと呼吸ガス用のダブル・シリンダーがないらしい。したがって、各自がシリンダー用のバルブとダブル・シリンダー用バンドを持参しなければならなかった。明日は『セシリア・アン』のシリンダーをホテルのバスルームまで運び出し、内部の酸素洗浄9※とダブル・シリンダーの組み立てから始めなければならない。だが、それはそれで楽しい。男の子という生き物は、生涯“男”を維持し続けるために、いつも「玩具」が必要な種族なのだ。
『MBセシリア・アン』は、2002年にこの国で建造された、長さ18m、木造(!)の、しかも2本マストの美しいケッチ※10だ。白い船体と真新しい純白のセイルは、船好きにはたまらなく美人に見えるに違いない。前日にすべて作業を完了し、大量のガスの親瓶と器材の積み込みを終えた私たちは、到着3日目の朝、まだ日が昇り切らないうちに、はやる気持ちを抑えてバンテン湾に向けて東に舵を切った。



奇跡的に全形をとどめた船内を3人で探査

1967年に発見された『HMASパース』は、バビ島の西、少し湾内寄りの最大水深40m付近に沈む。右舷を下にして、中心線のおよそ半分までが火山灰の水底に埋没し、あれだけの猛攻撃を受けたにもかかわらず、ほぼ全形をとどめる。前部甲板の口径15㎝連装速射回転砲塔の砲身4門が、いつでも即戦可能だぞと水面の敵を威嚇する。
魚雷の直撃を受けて大きく開いた、左舷中央部から船体内部に入ることを決めた。もっとも経験のあるサムが先行してガイドラインを引き、私が続き、ファーグが最後を務める。ゆっくりとラインをタイオフする最善の位置を探し、ラインが留っているか確認し、必要に応じて修正し、マーキング※11して、静かに慎重に、畏れ敬いながら進む。彼女は、きっぱりと外界を拒絶する薄い膜がかかったような雰囲気で、私たち3人を圧倒するだけだ。
ガレキやねじ曲がった鋼鉄の構造物が散乱する『パース』の内部の情報を、それぞれができるだけ記憶する。当時お互いに敵として戦った歴史をもつ国籍の私たちは、そんなことはもうどうでもいい。気心の知れた、何度もレック・ペネトレーション・ダイブをともにした経験が、英語でも日本語でもない、ライトの光とラインの振動から伝わる感触、鋼鉄の戦闘艦内部で微かに反響する呼吸音を通じて、つまり「幻の共通語」を水中で交わしながら探査しているのだ。
メイン・セイルを揚げてアンヤルの港に帆走する、夕焼けに染まる『MBセシリア・アン』の甲板には、心地のいい柔らかい風が吹く。北西の彼方にはカラカトワ火山とスマトラがかすむ、ここは海峡だ。甲板のラップトップからブルーズ・ハープ※12の嗄れた音が軋む。誰かが、たぶん「ローリング・ストーンズ」好きのファーグだろうが、「ビッグ・ボス・マン」※13を流している。英国人の彼にシカゴ・ブルーズが似合うとは思えない。当然、日本人の私にも似つかわしくはない。我々には「海峡」といえば演歌だが、そんな気持ちにもなれない私は、持参したiPodにアン・サリーの「蘇州夜曲」※14があったことを思い出した。バンテン湾の彼女はどんな“ブルーズ”を好むのだろうか。



※1=Duke:デューク
※2=King:キング
※3=Pope:ポーペ
※4=「American, British, Dutch, Australian」:アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアそれぞれの頭文字
※5=「Her Majesty Australian Ship」:女王陛下のオーストラリア艦船の意味※6=Amphion:ギリシャ神話の神「アンピオン」の英語読み
※7=連合国側の名称は「スンダ海峡海戦(The Battle of Sunda Strait)」と呼ばれる
※8=「MB Cecelia Anne」:MBの艦船接頭辞は「Merchant Boat」の略号で商用目的の船の意味
※9=シリンダーに酸素を充填したり、分圧混合方式でトライミックスを作る場合、内部の油分や炭化水素を洗い流す作業
※10=Ketch:2本マストの帆船
※11=「ライン・アロー」などを設置する作業
※12=ブルーズ音階で配列したハーモニカ※13=「Big Boss Man」:1961年にジミー・リードが歌ってヒットした。初期のストーンズに影響を与えたといわれる
※14=1940年の映画「支那の夜」の劇中歌として「李香蘭(山口淑子)」が歌った。その後、多くの歌手がカバーしている

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