琵琶湖湖底長浜城遺跡 地震被害などを知る基礎資料

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水中考古学タイトル コラムニスト:山本 遊児 × 中川 永
其の二十六 琵琶湖湖底長浜城遺跡 地震被害などを知る基礎資料

陸の遺跡とは違いまだ手つかずのものが多い水中遺跡、遺物の数々。 そんな、水中に眠る日本各地の遺物を追う。 第26回目は滋賀県長浜市沖。 琵琶湖の湖底には、豊臣秀吉の出世城として知られる 長浜城の水没伝承が残る。 水中遺跡としては日本で初めて見つかった建物遺構なうえ、 文政近江地震(1819)の被害を知る貴重な資料とされている。

柱

【柱】

主要な柱の直径は20㎝程度、高さは残りの良いもので65㎝程度を測る

日本最大の湖である琵琶湖には「かつて存在した城や集落が、大地震によって水底に没した」という伝承が数多く残る。今回紹介する長浜城跡も、そうした遺跡の1つだ。

正面

【正面】

正面側より。建物の主構造を構成する柱と、庇となるやや細めの柱が見える

豊臣秀吉の出世城として有名なこの城は、天正2年(1574)に築城を開始し、元和元年(1615)に廃城となった。その際に城郭は徹底的に破壊され、往時の姿がほとんど分からない、謎多き城でもある。

長浜城を巡っては、古くから天正13年地震(1586)との関連が指摘される。M7・8とも推定される被害は甚大で、城主であった山内一豊の娘、与禰姫が圧死するなど、痛ましい記録も残っている。城そのものが水底に没したとの記録もあり、滋賀県立大学の学術サークル「琵琶湖水中考古学研究会」が調査を行ってきた。今回紹介する建物遺構も、こうした中で確認されたものである。

水底

【水底】

湖岸は目と鼻の先にあるが、水底の様子はほとんど知られていない

遺構は沖合約100m、水深約1・8mの地点で確認された。直径約8m、高さ30㎝以上の楕円形の小山状に礫を集積し、桁行一間(約1・8m)、梁行一間(約2・1m)を測る建物が頂上に建てられている。

水草

【水草】

夏場には水草がジャングルの様に繁茂し、調査は困難を極める

放射性炭素年代測定法の結果、柱材は19世紀初頭の伐採と推定された。また当時の水位と建物遺構の立地標高との比較からは、地盤沈降によって湖底に没したものと考えられる。

当時、滋賀県内に被害をもたらした地震には文政近江地震(1819)が挙げられる。M7・2と推定されるこの巨大地震によって地盤沈降を生じ、湖底に没したのだろう。

石臼

【グリッド】

グリッドと呼ばれる方形区画を設定し、実測作業などを行なった

当遺構の発見には、大きく2つの意義がある。

1つ目に、日本の水中遺跡として初の、建物遺構の発見である。従来は柱材が散発的に確認されることはあったが、復元に至ることはなかった。

2つ目に、これまで長浜地域では文政近江地震の被害は知られてこなかった。今日の地震被害想定において、歴史地震の記録は文字通りの基礎資料である。

水中遺跡は過去の歴史を、時にそのままの姿で伝えるタイムカプセルであり、その実態解明は歴史像の復元のみならず、現在に生きる私達に多くの示唆を与えてくれる。

考古学3つの原則

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コラムニスト

山本遊児さん写真

写真=山本 遊児さん

水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所撮影調査技師/水中考古学研究所研究員/南西諸島水中考古学会会員/The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員

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中川 永さん写真

文・解説=中川 永さん

滋賀県立大学大学院博士後期課程/日本学術振興会特別研究員/アジア水中考古学研究所会員/琵琶湖水中考古学研究会代表

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